コラム

劣等感にまみれた少年~青年のころ

コラム

今でこそいつもニコニコしていますね。
とか、いつも楽しそうと言われることが多くなりました。
クリフトンストレングスの資質の1位もポジティブです!(笑)

でも若い頃は自己効力感が低かったんですよね〜。

そんな私の少年から青年時代を振り返ります。

友達に救われた小学生のころ

活発で目立ちたがり屋で、クラスの劇では主役を演じたりもしていたのですよね。

でも少し我が強いというか、変に正義感が強いというか・・
その強い性格が原因で、本当の母ではない家庭環境も災いして、同級生から結構いじめられるようになったのです。無視されたり、罵倒されたり。。泣
無視されるのが一番辛かったですね。

「なんで、そんな仕打ちをするんだろう?」って毎日思っていたなぁ。
そんないじめになんとか耐えながらも、泣いて暮らす日が続いていました。

でも、打ちひしがれる中で、こんな私を受け入れ、グループの中心にいた運動神経が抜群の男子がよく遊びに誘ってくれたんです。
そのグループの中にいるときは、楽しいし、支えてくれた友人達の存在が大きな救いとなっていました。

怪我に泣いた中学時代

中学に進学しても変な正義感は残っていて、まじめにしないといけない時にふざけたり、ルールを守らないのが、許されなったんです。
なので懲りずに我を張ったりしてしまってました。
(学習しろ!って感じですが 笑)

でも、それがまた孤立させる原因ななってしまいました。

クラスの女子から無視されたり。。(懲りないやつです 泣)

ニキビという新たな問題も私を悩ませたんですよね。青春真っ盛りという感じ。

ここでもまた友達に救われました。
野球部に入部したことで、再び自分の居場所と目的を見つけ、チームメイトとの絆に支えられました。

3年生が抜けた新チーム
成長期と重なったおかげ?全身がバネのよう!
足もチームで1~2。打っては広角に良い打球が!!
と、順調だったのもつ束の間。

ベースランニングでスライディングを失敗し、右足を骨折。
(弁慶の泣き所のあたりの2本の骨が見事に折れました。全治3ヵ月)

自分の骨の折れる音って聞いたことありますか?
今でも思い出すのですが、何とも言えない嫌な音です。

復帰を果たすものの、怪我の前の能力が嘘のように陰りを見せ、県大会出場とチームの勢いを尻目に最後までレギュラー獲得には至らず、・・・

悔しかったなぁ。
結局自分は何をやってもうまくいかない人生なんだ・・とこの頃は本気で思っていました。

さらに怪我に泣いた高校時代

学業重視の進学校へと進み、野球部は弱小ながらも、中学時代に悔しさを晴らすために、ここでレギュラーを目指しました!

でも良いのか、悪いのか中学時代のスーパースターたちが集まったんです!

そんなスーパースター達と肩を並べながら頑張ったんです。
最初はレギュラーです!

でも、再び骨折するという不運に見舞われました。
この時は、自分の運命?を恨みましたね。

秋の県大会準優勝という成績を引っ提げ、最後の夏の大会。

大会前に骨折箇所にできたガングリオン切除の手術後もチームの一員として頑張ったが、一度も出場機会を得ることなく最後の大会も準優勝という結果で終わりを迎えます。

学校中の生徒から大きな歓声を受けているメンバーがとっても羨ましく思いました。

試合後に涙するチームメイト。
私の涙は負けたというより出場できなかった悔しさからのもので、そんな自分に自己嫌悪。
(僕は何をやっても結局中途半端な人間だ。。)

受験は国立大学と私立大学の2本立て。
野球部引退後に真剣に勉強に取り組みました。
特に私立大学向けの勉強もコツコツと継続。国立大学は二次試験に失敗したが、私立大学は志望校に合格。
(コツコツと続ければ結果はついてくる)
文化祭や体育祭ではクラスの一員としての楽しさを味わったが、受験も終わり、好きな子に話しかけることもできず卒業を迎えます。

中・高時代は女子と喋ったことありません。
ほんとは喋りたいし、仲良くしたいのに恥ずかしくて・・・

花の一人暮らしの大学時代

岡山から大阪へ 花の一人暮らしでドキドキ!!

出会い重視のため、オープニングスタッフとしてたこ焼き店でアルバイトを始めます。

アルバイト先では「もう二度と電話かけてこんといて」と言われ振られたり、「勉強教えて♡」と高校生が家にご飯作りに来てくれたりと、ちょっとずつ恋愛経験を積んでいきました。

しかし大好きだった高校生に振られたショック(アルバイト先の30代に奪われる)が大きく、なかなか立ち直ることができないまま月日が流れます。
「もう一度彼女を見つけるぞ!」と、奮起してアルバイトをしにいった『大阪花と緑の博覧会』で運命の人!?と出会い、5年後に結ばれることとなります。
そうなんです。今の嫁さんです。
そう考えると、人のご縁って不思議ですね。

中学生の家庭教師もやりました!
この経験より教えることの喜びを感じます。
もしかしたら今の原点になっているかもしれないです。

本当にこの会社でよかったのか?と思う20代

とんでもなく体育会系企業でした。(今で言うとブラック企業。パワハラのオンパレードです。)

入社後の研修で自衛隊研修から始まり、事業所に配属後も・・・

販売会議で上司から・・・
「売上できへんのやったら、この窓から飛び降りて〇ね!」

とか

「お前、この仕事向いてないから、魚屋にでもなったらどうや!」
(魚屋さんに失礼な話です)

とか。

よく耐えてきたなぁと我ながら感心!

と、なんかうまくいかないし、自分に自信がないし、会社に入っても怒鳴り散らされまくるしwww

ほんと劣等感が強く、自己効力感が低い時代が長かったなぁと思います。